目次
第5話 思わぬキスと命がけの守護――深まる二人の想い
拓展一部の新部長に就任した紀昱恒(ジー・ユーホン)は、着任早々から厳しい姿勢を見せる。初めての全体会議の日も、開始時間に遅れてくる社員がいるのを見て、全員が揃った瞬間に「今日はここまで」と会議を打ち切ってしまう。
突然の対応に社員たちは唖然とする。
だがこれは紀昱恒なりのメッセージだった。
時間を守れない組織に成果は出せない。
まずは部門全体の意識を変えなければならない。
若い部長だと軽く見られていることも理解しているからこそ、最初に強い姿勢を示したのだった。
そんな緊張感に包まれた職場とは対照的に、夜になると二人は穏やかな時間を過ごす。
会社では上司と部下。
しかし家へ帰れば、将来を約束した特別な存在同士だった。
夕食の支度をしながら筱柠は今日の出来事を愚痴る。
「会議、すごく怖かったんだから。」
社員たちの前で厳しい顔をしていた紀昱恒を思い出しながら頬を膨らませる。
しかし紀昱恒はそんな彼女の様子を微笑ましく見つめていた。
二人は自然と家事の分担も決めていく。
料理は紀昱恒。
洗い物は筱柠。
まるで長年連れ添った夫婦のようなやり取りだった。
さらに紀昱恒は彼女が新しい靴で靴擦れを起こしていることにも気付く。
何も言わず靴を手に取り、当たっている部分を柔らかく調整してやる。
その優しさに筱柠は少し照れながらも嬉しくなる。
自分のことをこんなにも細かく見てくれる人は今までいなかった。
そしてその夜、思いもよらない出来事が起こる。
洗い物をしていた筱柠は背が届かず、つま先立ちになっていた。
すると後ろから紀昱恒が近付き、自然に手を伸ばして上の棚の物を取る。
突然距離が近くなり、筱柠は慌てて振り返る。
その瞬間――。
二人の唇が軽く触れ合った。
ほんの一瞬だった。
だが二人とも固まってしまう。
心臓の音だけが大きく響く。
紀昱恒は何事もなかったように視線を逸らし、筱柠も必死に平静を装う。
しかし胸の高鳴りだけは隠せない。
部屋の空気はどこか甘く、ぎこちないものへと変わっていた。
翌日、筱柠は真っ先に親友の凌惟依へ報告する。
すると凌惟依は大興奮だった。
「それはもう完全に恋愛じゃない!」
「今がチャンスよ!」
本人以上に盛り上がる親友に筱柠は苦笑するしかなかった。
一方、職場では新体制が本格的に始動していた。
紀昱恒は昼の会議で全員に今後の目標を発表させる。
社員たちは戸惑いながらも順番に答えていく。
しかし趙方剛だけは違った。
現在の案件数に満足し、これ以上増やす必要はないという態度を見せる。
それを聞いた紀昱恒は容赦なく言い渡す。
「毎月最低一社、新しい民間企業を開拓してください。」
趙方剛は不満そうな表情を浮かべる。
だが反論はできない。
さらに紀昱恒は筱柠にも課題を与える。
「三か月以内に正社員登用試験の全項目をクリアしてください。」
かつて筱柠自身が「特別扱いはしないでほしい」と言った手前、文句を言うこともできない。
同僚たちは厳しい上司だと思っていたが、実は一番厳しく接しているのは筱柠だった。
しかしそれは彼女の能力を信じているからこそだった。
そんな中、銀行で大事件が発生する。
ある男性が突然支店へ押し入り、激しく騒ぎ始めたのである。
入口で凌惟依が対応するが、男性は話を聞こうとしない。
警備の隙を突いて強引に中へ侵入してしまう。
男は相手を探しながら拓展一部へ押しかけ、ついにはナイフを取り出した。
周囲は騒然となる。
実は彼は「相親ローン」を利用して知り合った女性に大金を貸し、その女性が姿を消してしまった被害者だった。
借金だけが残り、返済に追われる状況に追い詰められていたのである。
感情的になった男は銀行に責任を取れと要求し、自らの首に刃を向ける。
その場にいた筱柠は恐怖を押し殺しながら説得を続ける。
「落ち着いてください。」
「話を聞きますから。」
彼女の必死な対応によって男の興奮は少しずつ収まっていく。
しかし危険は去っていなかった。
入口から様子を見ていた紀昱恒は、目線だけで筱柠に合図を送る。
そして男が顔認証操作に気を取られた瞬間、飛び込んだ。
ナイフを叩き落とすことには成功した。
だが男は逆上し、落ちた刃物を拾って筱柠へ向かって突進する。
その瞬間だった。
紀昱恒が迷うことなく彼女の前へ飛び出した。
刃は彼の腕を深く切り裂く。
鮮血が床へ落ちる。
筱柠は凍り付く。
自分を守るために彼が傷付いたのだ。
普段冷静な彼が、自分の身を顧みず飛び出した事実に胸が締め付けられる。
病院へ搬送された後も、筱柠はずっと診察室の外で待ち続ける。
結果が気になって仕方ない。
医師が出てきた隙にこっそり病室へ入るが、そこへ饶静と趙方剛まで見舞いに来てしまう。
慌てた筱柠は紀昱恒のベッドの後ろへ隠れる。
紀昱恒も咄嗟にカーテンを閉めて彼女を守った。
まるで秘密の恋人同士のような光景だった。
その後、相親ローン事件の調査が始まる。
紀昱恒は趙方剛へ調査を命じる。
最初は不満を見せていた趙方剛だったが、事態の重大さを知り協力することになる。
同じ頃、饶静も独自に動き始めていた。
二人はそれぞれ結婚相談所「千里縁」へ潜入し、証拠集めを行う。
そこで筱柠は危うく自分と紀昱恒の関係が露見しそうになる。
スタッフが二人の名前を口にしようとしたのだ。
慌てて話題を逸らした彼女は、さらに壁に飾られていた二人の写真を見つける。
並べられた写真はまるで結婚写真のようだった。
誰かに見られる前に急いで回収する。
一方、紀昱恒は社内で趙方剛を庇っていた。
彼は能力のある人材を正しく評価しようとしていたのである。
その姿勢は少しずつ部下たちの信頼を集め始めていた。
夜、自宅へ戻った筱柠は千里縁で見た写真の話を紀昱恒へ伝える。
しかし彼は腕を負傷しているため、シャツを脱ぐことすら大変そうだった。
「ちょっと手伝ってくれる?」
そう頼まれた筱柠は顔を真っ赤にする。
なぜか変な方向へ想像してしまい、慌てて逃げ出してしまった。
そんな彼女を見て紀昱恒は思わず笑う。
本当に可愛い人だと思った。
その後、筱柠は凌惟依と運動へ出掛ける。
親友は改めて言う。
「紀昱恒、本当にあなたのこと大事にしてるよ。」
筱柠もそれは分かっていた。
ただ認めるのが少し怖いだけだった。
帰宅すると、マンションの前に紀昱恒が立っていた。
彼は怪我をしているにもかかわらず、彼女が帰るまで待っていたのである。
「少し散歩しない?」
二人は夜道をゆっくり歩く。
今日一日で起きた出来事を振り返りながら。
命の危険。
怪我。
不安。
それでも今こうして隣にいる。
その事実が何よりも幸せだった。
夜遅く、筱柠はSNSに一言だけ投稿する。
「誰かが自分のために必死になってくれるって、こんな気持ちなんだ。」
その投稿を見た紀昱恒は、静かに微笑む。
言葉にはしない。
だが彼の胸の中では長年抱き続けてきた想いが、確実に彼女へ届き始めていた。
そして筱柠自身も気付き始めていた。
この結婚は条件だけで選んだものではない。
自分は少しずつ、本当に紀昱恒を好きになっているのだと――。
第6話 すれ違う心――夫婦になった二人に訪れた初めての危機
秘密の結婚生活を続ける涂筱柠(トゥー・シャオニン)と紀昱恒(ジー・ユーホン)。少しずつ距離を縮めてきた二人だったが、この頃から互いの価値観の違いが見え始める。恋愛のときには見えなかった部分が、結婚を前提とした関係だからこそ浮かび上がってくるのだった。
ある日、拓展一部に見慣れない男性が現れる。
饶静(ラオ・ジン)が気さくに声をかけると、その男性も笑顔で応じる。
その人物こそ、新たに行長専属の運転手として採用された斉郁(チー・ユー)だった。
彼の姿を見た瞬間、筱柠は思わず驚く。
なぜなら斉郁は親友・凌惟依(リン・ウェイイー)の元恋人だったからだ。
偶然再会した二人は後日、階段の踊り場で話し込むことになる。
しかし、その場面を趙方剛たちが目撃してしまう。
親しげな様子を見た同僚たちは当然のように「社内恋愛だ」と勘違いする。
冗談交じりに冷やかす声が飛び交う中、その様子を遠くから見ていた紀昱恒の心は穏やかではなかった。
もちろん筱柠を信じていないわけではない。
だが夫としては面白くない。
本当は自分が彼女の一番近くにいる存在なのに、それを誰にも言えないもどかしさが胸を締め付ける。
その日以降、紀昱恒は職場でいつも以上に厳しくなった。
会議でも細かなミスを見逃さず、部下たちに厳しい指摘を繰り返す。
確かに彼の指摘は正論だった。
しかしあまりにも容赦がないため、部内には重苦しい空気が流れ始める。
趙方剛でさえ部下たちに向かって、
「今は余計なことをするな。大人しくしてろ。」
と忠告するほどだった。
そんな紀昱恒の様子に筱柠も気付いていた。
数日後、彼女はこっそりメッセージを送る。
「薬の交換をするなら屋上へ来て。」
怪我をしている紀昱恒のためだった。
屋上は二人だけが知る秘密の場所。
社員たちの目を気にせず話ができる第二の隠れ家だった。
屋上で傷の手当てをしながら、紀昱恒は気になっていたことを尋ねる。
「斉郁とはどういう関係なんだ?」
筱柠は苦笑しながら事情を説明する。
斉郁は親友の元恋人で、自分とは何の関係もないこと。
そして同時に、部下への接し方についても率直な意見を伝える。
「厳しくするのは大切だけど、やり過ぎると人はついて来なくなるよ。」
その言葉に紀昱恒は黙り込む。
頭では理解していても、感情までは整理できていなかった。
一方その頃、凌惟依と斉郁も再び向き合っていた。
人気店のケーキを買うため長い列に並んでいた凌惟依は、途中で諦めようとしていた。
そこへ現れたのが斉郁だった。
彼はすでにケーキを手にしていた。
まるで彼女のことをずっと見ていたかのように。
斉郁は真剣な表情で謝罪する。
かつて別れを選んだのは、自分が両親と恋人との間で揺れていたからだと。
しかし今なら分かる。
本当に大切なのは誰なのか。
「もう二度と君を手放さない。」
そう告白する斉郁。
だが凌惟依は首を横に振る。
「私は後戻りしない。」
過去は過去。
傷付いた時間は戻らない。
そう言い残して立ち去る彼女を、斉郁はただ見送ることしかできなかった。
その頃、筱柠は正社員登用試験へ向けて必死に努力していた。
趙方剛と共に営業先を回り、現場での経験を積んでいく。
意外にも趙方剛は優秀な営業マンだった。
顧客との距離の縮め方や交渉術など、多くのことを教えてくれる。
筱柠も素直に学びながら成長していく。
しかし趙方剛はある勘違いをしていた。
斉郁こそが筱柠の恋人だと思い込んでいたのである。
何度説明しようとしても話を聞いてくれず、
「安心しろ。俺が秘密は守ってやる。」
などと言い出す始末。
筱柠は頭を抱えるしかなかった。
さらに相親ローン問題の調査も大詰めを迎えていた。
趙方剛は証拠を集めて紀昱恒へ提出する。
一方、饶静も負けじと独自に情報を収集していた。
二人とも成果を上げようと必死だった。
そんな中、以前銀行で暴れた男性から筱柠へ電話が入る。
騙し取られたお金が無事に戻ってきたという報告だった。
そして感謝の言葉も伝えられる。
被害者を救えたことに筱柠は心から安堵する。
ところが、その後に開かれた会議で予想外の出来事が起きる。
紀昱恒が趙方剛を正式に社内通達で批判すると発表したのだ。
部内は騒然となる。
趙方剛は怒りを抑えられない。
「証拠も集めた。問題も解決した。それなのになぜ俺だけ責任を負うんだ!」
会議後、彼は紀昱恒へ詰め寄る。
しかし紀昱恒は冷静だった。
管理責任は管理者が負うべきだという考えを崩さない。
結果を出したことと責任を取ることは別問題だと説明する。
だが趙方剛には納得できなかった。
彼の中では「若い部長が自分を潰そうとしている」という不信感だけが残る。
その夜、同僚たちは落ち込む趙方剛を慰めるため飲み会を開く。
筱柠も参加していたが、途中で母親から連絡が入る。
今日は紀母の治療終了日だった。
筱柠は急いで病院へ向かった。
病室では紀母が明るい笑顔を見せていた。
彼女は筱柠を見るなり、
「昱恒は家でも無口でしょう?」
と笑う。
さらに、
「夫婦はちゃんと話さないとダメよ。」
と優しく諭す。
そして薬指を見て驚く。
「結婚したのに指輪もないじゃない。」
紀母は本気で二人の結婚を喜び、何か贈り物をしたいと思っていた。
そんな母の姿を見ながら、筱柠は胸が温かくなる。
だが帰り道、再び二人は衝突する。
話題は当然、趙方剛の件だった。
筱柠は紀昱恒の判断が厳しすぎると思っている。
一方で紀昱恒は、自分は間違っていないと考えていた。
正しいことをしただけだと。
「あなたは決断が早すぎる。」
筱柠は思わず言う。
「私、まだあなたのこと全然分かってない。」
その一言は紀昱恒の胸に深く刺さる。
結局、二人は険悪なまま別れてしまった。
偶然その様子を見ていた筱柠の両親も心配する。
数日後、筱柠は実家へ帰るようになる。
紀昱恒を誘うこともない。
母親はすぐに事情を察し、
「しばらく実家にいなさい。」
と娘を受け入れる。
こうして二人は初めて距離を置くことになった。
紀昱恒は一人きりの部屋で過ごす。
静まり返ったリビング。
食卓に並ばない二人分の食器。
家の中には筱柠の気配だけが残っている。
本当は謝りたい。
会いたい。
しかしどう切り出せばいいのか分からない。
結局、彼は何もできないまま、実家へ帰る筱柠の姿を遠くから見つめるだけだった。
一方の筱柠もまた、彼を忘れられない。
怒っているはずなのに気付けば紀昱恒のことを考えてしまう。
そんな中、行き詰まった紀昱恒はついに凌惟依へ相談する。
事情を聞いた凌惟依ははっきり言った。
「筱柠は正しさを求めてるんじゃない。」
「安心したいの。」
その言葉に紀昱恒は考え込む。
自分は正論ばかり並べていたのかもしれない。
そして同じ頃、筱柠も母親から人生の先輩としての助言を受けていた。
「結婚ってね、勝ち負けじゃないの。」
「一緒に生きていくって決めたなら努力しなさい。」
「それでも無理なら、その時に別れればいい。」
母の言葉は厳しくも温かかった。
こうして初めて訪れた夫婦の危機。
だが離れてみて初めて気付く。
自分にとって相手がどれほど大切な存在なのかを――。
二人の心はまだすれ違ったまま。
しかしその距離は、再び近付くための時間でもあった。
第7話 待ち続ける愛――少しずつ夫婦になっていく二人
前回、初めて本格的な夫婦喧嘩を経験した涂筱柠(トゥー・シャオニン)と紀昱恒(ジー・ユーホン)。互いを想う気持ちはあるのに、価値観の違いからすれ違ってしまった二人だったが、第7話ではその誤解が少しずつ解けていく。そして、紀昱恒の不器用ながらも一途な愛情が、これまで以上に胸を打つエピソードとなっている。
朝、実家で目を覚ました筱柠は、父親の妙な行動に苦笑することになる。
父親は水槽の魚に向かって、
「お前はもうここには住めないぞ」
「早く新しい家へ行け」
などと話しかけていた。
もちろん魚に言っているようで、実際は娘に向けた言葉だった。
夫婦喧嘩をして実家に戻ってきた筱柠へ、「そろそろ帰りなさい」と遠回しに伝えているのである。
その不器用な親心に筱柠は思わず笑ってしまう。
マンションの下へ降りると、そこには紀昱恒の姿があった。
彼は早くから待っていたのだ。
怒っている様子もなく、ただ真剣な表情をしている。
「話がしたい。」
その一言に、筱柠も素直にうなずく。
「家で話そう。」
ようやく二人は真正面から向き合うことになる。
実家の両親は窓からその様子を見守っていた。
娘が夫と一緒に帰っていく姿を見て、二人とも安心したように微笑む。
家へ戻ると、紀昱恒はまず趙方剛の件について説明した。
実はあの処分は、彼自身が決めたものではなかった。
行長は当初、趙方剛を異動させるか降格させるつもりだったのである。
しかし紀昱恒はそれを止めた。
「一度の失敗で人を切り捨てたくなかった。」
だからこそ軽い処分で済むように必死に掛け合ったのだった。
さらに勤怠管理の厳格化についても理由を説明する。
顧客から苦情が入っていたこと。
部下たちが知らないところで問題が大きくなっていたこと。
だからこそ先に注意したのだと語る。
それを聞いた筱柠は初めて気付く。
自分は紀昱恒の行動だけを見て判断していた。
その裏側にある事情を知らなかったのだ。
「私、誤解してた。」
そう素直に謝る筱柠。
しかし彼女にも言いたいことがあった。
「あなたもちゃんと話してくれなきゃ分からないよ。」
紀昱恒は少し苦笑する。
確かに彼は説明が苦手だった。
いつも結果だけを見せてしまう。
気持ちや理由を伝えることが得意ではないのだ。
そんな彼に筱柠は続ける。
「お母さんにも言われた。」
「簡単に諦めちゃダメだって。」
すると紀昱恒はほっとしたように息を吐く。
本当に怖かったのは、彼女が自分との関係を終わらせようとしていることだった。
筱柠はそんな彼を見ながら優しく言う。
「私も簡単には諦めないよ。」
その言葉を聞いた紀昱恒の表情は、久しぶりに柔らかくなった。
こうして二人は仲直りする。
そして父親から渡された魚を、新しい家で一緒に育てることになった。
まるで小さな家族が増えたようだった。
翌日、会社ではいつも通り会議が行われる。
趙方剛は会議中に大きなあくびをしてしまい、慌てて姿勢を正す。
以前のような反抗的な態度はすっかり消えていた。
処分の真相を知ったことで、紀昱恒への見方も少し変わったのである。
しかし仕事はそう簡単ではない。
失った取引先との信頼を取り戻すには時間がかかる。
そんな中、紀昱恒は新しい案件を趙方剛へ任せようとする。
ところが趙方剛は警戒して断ってしまう。
まだ完全には信用していないのだ。
その様子を見た筱柠はこっそりメッセージを送る。
「言い方を変えた方がいいかも。」
紀昱恒は思わず笑う。
職場では上司と部下だが、今では筱柠が一番信頼できる相談相手になっていた。
その後、饶静や趙方剛と話している最中、筱柠は無意識のうちに紀昱恒を褒めてしまう。
「実は部長ってすごく面倒見がいいんですよ。」
「意外と優しいですし。」
言った直後に自分で焦る。
あまりにも詳しすぎる。
饶静と趙方剛も怪しそうな顔をする。
慌てた筱柠は、
「私は転正試験の勉強がありますから!」
と話題を変えるのだった。
そんな慌ただしい日々の中、高校の同窓会が開かれることになる。
主催は斉郁だった。
凌惟依は最初乗り気ではなかったが、筱柠を巻き込んで参加することにする。
「せっかくだし綺麗にして行こう!」
久しぶりに二人はおしゃれをして会場へ向かう。
しかし凌惟依は最後まで斉郁に冷たい態度を崩さなかった。
一方、会場にはもう一人厄介な人物がいた。
陸思靖である。
彼はまだ筱柠との復縁を諦めていなかった。
今のところ誰も紀昱恒との関係を知らない。
だからこそ、まだチャンスがあると思っているのだ。
陸思靖は真剣な表情で語る。
「俺たちは長い時間を一緒に過ごした。」
「もう一度やり直せないか。」
だが筱柠の答えは変わらない。
「過去は過去。」
「一度失ったものは戻らない。」
そう言い残して立ち去る。
その背中には迷いがなかった。
彼女の心はもう別の人へ向かっているのだ。
同じ頃、紀昱恒は恩師と釣りをしていた。
そこで行長から大切な助言を受ける。
「拓展一部は一人では変えられない。」
「チームで戦わなければ意味がない。」
その言葉を聞いた瞬間、紀昱恒は筱柠の言葉を思い出す。
彼女も同じことを言っていた。
知らず知らずのうちに、自分は周囲を信頼することを忘れていたのかもしれない。
夜になると、同窓会はお開きとなる。
凌惟依はかなり酔っていた。
筱柠は親友を家まで送ることにする。
その途中、紀昱恒から電話が入る。
「迎えに行こうか?」
しかし周囲に人がいるため、筱柠は断る。
それでも紀昱恒は気になって仕方がない。
彼は行長や父親に連絡しながら、凌惟依の住所を調べ始める。
一方、陸思靖はしつこく付きまとっていた。
送る必要はないと言われても帰ろうとしない。
結局タクシーまで一緒に乗り込んでしまう。
なんとか凌惟依の家へ着くと、筱柠は急いで彼を帰らせる。
その頃、マンションの下へ到着した紀昱恒は、偶然そこから出てくる陸思靖を目撃する。
胸の奥がざわつく。
もしかすると自分を来させなかった理由は彼だったのではないか。
そんな考えが頭をよぎる。
さらに斉郁まで現れたことで、その場は妙な空気になる。
しかし筱柠は何も知らない。
部屋の中では凌惟依が突然泣き出していた。
実は酔ったふりをしていただけだったのである。
忘れようとしても忘れられない。
斉郁への想いがまだ心の奥に残っている。
初めて出会った日のこと。
付き合っていた頃の思い出。
すべてが蘇ってくる。
筱柠は優しく寄り添う。
「まだ好きなんだね。」
凌惟依は涙を流しながら黙ってうなずく。
すると筱柠は静かに語る。
「私もね、紀昱恒とちゃんと向き合おうと思う。」
「最初は結婚のためだったけど……」
「今は一緒に暮らしていきたいと思ってる。」
その言葉は、自分自身の気持ちを確認するようでもあった。
いつの間にか彼女の中で紀昱恒はかけがえのない存在になっていたのだ。
やがて筱柠はそのまま眠ってしまう。
夜中に目を覚ますと携帯にメッセージが届いていた。
『下で待ってる。』
送信者は紀昱恒だった。
時間を見るとかなり前のメッセージだ。
もう帰っただろうと思いながら窓の外を見る。
すると――。
そこにはまだ彼がいた。
街灯の下で静かに待っている。
何時間も。
その姿を見た瞬間、筱柠の頬に自然と笑みが浮かぶ。
急いで外へ降りる。
紀昱恒は何も文句を言わない。
ただ、
「帰ろう。」
とだけ言った。
二人は並んで夜道を歩く。
帰り道、紀昱恒は部下たちについて教えてほしいと頼む。
筱柠は一人ひとりの長所を語る。
饶静は冷静で優秀なリーダー。
趙方剛は人懐っこく顧客との距離を縮める天才。
皆それぞれ強みがある。
その話を聞きながら紀昱恒は気付く。
組織を見る目も、人を見る目も、筱柠は本当に温かい。
そしてそんな彼女だからこそ、自分は惹かれ続けているのだと。
夜風が優しく吹く中、二人は肩を並べて歩き続ける。
すれ違いを乗り越えた先にあったのは、以前よりも少しだけ深くなった信頼だった。
秘密の夫婦は、ようやく本当の夫婦らしくなり始めていた。
第8話 近づく心、忍び寄る嫉妬――秘密の夫婦に芽生える本当の恋
結婚を前提に始まった関係だったはずなのに、いつしか涂筱柠(トゥー・シャオニン)と紀昱恒(ジー・ユーホン)の間には確かな愛情が育ち始めていた。第8話では、二人の距離がさらに縮まる一方で、過去の恋人・陸思靖の存在が再び波紋を広げていく。
ある朝、拓展一部は珍しく明るい雰囲気に包まれていた。
饶静(ラオ・ジン)が新たな大型顧客の獲得に成功したのだ。
同僚たちは次々と祝福の言葉を送り、部署全体が活気づいていた。
しかし、その輪の中で一人だけ浮かない顔をしている人物がいた。
趙方剛だった。
最近なかなか契約を取れず、営業成績も伸び悩んでいる。
彼は半ば冗談交じりに、
「誰か俺に契約一件くれないか?」
と嘆いていた。
そんな中、紀昱恒が現れる。
そして突然、
「今夜、私と一緒に会食へ行ってもらう。」
と饶静と趙方剛に告げる。
さらに筱柠には運転手役を任せた。
趙方剛は不満そうだった。
「どうせ行くならもっと高級な店にしてくれよ。」
だが実際に会場へ到着すると、その考えはすぐに変わる。
なぜなら紀昱恒が連れてきたのは、将来有望な大口顧客だったからだ。
食事が始まると、趙方剛は本領を発揮する。
持ち前の社交性で場を盛り上げ、顧客との距離を縮めていく。
一方、饶静も巧みに会話を回していた。
そんな中、誰かが筱柠にも酒を勧めようとする。
しかし紀昱恒はすぐに口を開いた。
「彼女は運転がありますので。」
その一言で筱柠は救われる。
周囲には気付かれないほど自然だったが、その言葉には確かな気遣いが込められていた。
筱柠は思わず胸が温かくなる。
会食が進むにつれ、紀昱恒は巧みに話を誘導していく。
銀行の強みや将来性を説明しながら、自然な形で趙方剛へ話題を振る。
顧客も徐々に興味を示し始めた。
そして最後には、
「ぜひ今後も相談させてください。」
という前向きな返事を引き出すことに成功する。
趙方剛は驚いていた。
自分のためにここまで段取りを整えてくれていたとは思わなかったからだ。
会食が終わる頃には、紀昱恒も饶静もかなり酒が回っていた。
特に紀昱恒は椅子にもたれながら目を閉じている。
完全に酔ったように見えた。
筱柠は心配になり、周囲に人がいなくなった瞬間そっと近付く。
「大丈夫?」
そう言って彼の手に触れた瞬間――
紀昱恒はその手を優しく握った。
突然の出来事に筱柠は息を呑む。
視線が重なる。
周囲の喧騒が遠ざかり、二人だけの時間が流れる。
まるで世界に二人しかいないようだった。
だがその直後、電話を終えた顧客が戻ってくる。
慌てて手を離す筱柠。
紀昱恒も何事もなかったように目を閉じる。
実は彼は酔っていなかった。
趙方剛と饶静に自然な形で交流する機会を作るため、あえて酔ったふりをしていたのだ。
帰り道の車内では、趙方剛が酒の勢いで本音を漏らしていた。
「なんで俺なんかを助けるんだよ。」
「正直、あいつの考えが分からねえ。」
筱柠はハンドルを握りながら笑う。
そしてさりげなく紀昱恒をフォローする。
「本当はすごく部下思いなんですよ。」
後部座席では酔った二人が言い合いをしており、その様子に筱柠は思わず吹き出してしまう。
全員を送り届けた後、彼女は改めて紀昱恒のもとへ向かう。
事前に準備していた蜂蜜水を差し出すと、
「今日は格好良かった。」
と素直に褒める。
紀昱恒は照れながらも嬉しそうだった。
その後、二人は海辺を散歩する。
夜の海風が心地よい。
筱柠は静かに言う。
「最近のあなた、変わったよね。」
「みんなのことをちゃんと見てる。」
すると紀昱恒も微笑む。
「君が言ってくれたからだ。」
以前の彼なら決して口にしなかった言葉だった。
二人はゆっくり歩き続ける。
波が押し寄せてきた瞬間、紀昱恒は迷わず筱柠を抱き上げた。
「風邪を引く。」
ただそれだけの理由だった。
自分の靴が濡れることなど気にも留めない。
その腕の中で筱柠の鼓動は速くなる。
気付けば彼の優しさに何度も救われていた。
帰宅後も筱柠はなかなか眠れなかった。
思わずSNSに今日の気持ちを書き込む。
『誰かが自分を大切にしてくれるって幸せ。』
その投稿を見た紀昱恒は、一人静かに微笑むのだった。
翌朝。
出社した筱柠は机の上に置かれた花束を見て驚く。
真っ先に頭に浮かんだのは紀昱恒だった。
昨日の出来事があったばかりだ。
きっと彼からの贈り物に違いない。
嬉しくなった筱柠は凌惟依へ報告する。
一方その頃、凌惟依もまた斉郁のことで悩んでいた。
彼は相変わらず積極的にアプローチを続けている。
だが彼女自身、自分の気持ちが分からなくなっていた。
そんな話を聞きながらも、筱柠は花束のことで頭がいっぱいだった。
そこで彼女は斉郁の机へアイスクリームを置き、
「ありがとう。」
とお礼を言う。
斉郁も笑顔で応じる。
しかし実は彼も何のことか分かっていなかった。
その後、斉郁は同僚たちの会話を聞いて驚く。
皆が、
「斉郁が筱柠に花を送った。」
と噂していたのである。
さらに机の近くには薔薇の花まで落ちていた。
ようやく彼は理解する。
筱柠は自分が花を贈ったと思い込み、お礼としてアイスをくれたのだ。
完全な勘違いだった。
その頃、筱柠は饶静と病院へ向かっていた。
クレジットカードの営業活動である。
そこで偶然現れたのが陸思靖だった。
彼は真っ先に手を挙げ、
「僕が申し込みます。」
と協力を申し出る。
その積極的な姿勢に饶静も感心する。
しかし筱柠だけは複雑な気持ちだった。
彼とはもう関わりたくない。
だが饶静は言う。
「仕事と私情は分けなさい。」
営業担当として成功したいなら避けて通れない道だった。
その後、陸思靖と話す中で筱柠は衝撃の事実を知る。
花束の送り主は彼だったのである。
紀昱恒ではなかった。
帰宅後、紀昱恒は手作りの焼肉を準備して待っていた。
そして何気なく尋ねる。
「花、届いた?」
その言葉に筱柠は少し驚く。
一方の紀昱恒は昔のことを思い出していた。
高校時代。
彼は筱柠の誕生日に告白するつもりだった。
薔薇の花も用意していた。
しかしその前に陸思靖が現れた。
そして筱柠は彼を選んだ。
あの日、告白できなかった花束を抱えたまま帰ったことは、今でも彼の胸に残る秘密だった。
だからこそ、花の話題になると少しだけ複雑な気持ちになる。
一方、仕事では大きな変化が起きていた。
紀昱恒は趙方剛の不良債権案件を全力でサポートする。
趙方剛も顧客に誠実に向き合い、一緒に問題解決へ取り組んでいた。
その姿勢を見て、顧客の態度も変わっていく。
そして趙方剛自身もようやく理解する。
紀昱恒は敵ではなかった。
本気で部署を良くしようとしているだけなのだと。
こうして二人の距離も縮まっていった。
休日、筱柠は凌惟依と美容サロンへ行く。
そこで彼女は延々と紀昱恒の話をしていた。
優しいこと。
頼りになること。
料理が上手なこと。
気付けば褒め言葉ばかりだった。
凌惟依は笑いながら言う。
「もう完全に好きじゃない。」
筱柠は顔を赤くする。
一方、凌惟依も斉郁について語っていた。
彼の愛情は派手ではない。
けれど真っ直ぐで誠実だ。
そんな彼の姿に少しずつ心が揺れている自分もいた。
その帰り道。
紀昱恒から電話が入る。
「迎えに行く。」
筱柠が凌惟依と一緒だと聞き、迎えに来てくれることになったのだ。
ところが美容サロンの前へ到着した紀昱恒は、思わぬ光景を目にする。
向こうから歩いてくる二人の男。
陸思靖。
そして斉郁。
かつての恋敵と、新たなライバル候補。
二人が同時に現れたことで、穏やかだった空気が一変する。
紀昱恒の表情がわずかに引き締まる。
そして筱柠はまだ知らない。
これから始まる微妙な男たちの駆け引きを――。
次回、第9話。
恋と嫉妬が交錯する中、秘密の夫婦に新たな試練が訪れる。
この結婚は社内秘で 9話・10話・11話・12話 あらすじ
















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